人気ブログランキング | 話題のタグを見る

廃墟に花々を


by stanislowski
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

今日こそは

大分最後の投稿から日が空いてしまっているけれど2回は記事を書いた。そして公開ボタンをクリックした。
そしたらエキサイトのホームに行ってしまい、再びマイブログに戻るが、見事に、書いてアップした記事は消えていた。
下書き保存しながら進めた方がいいのか?それとも私、晩リストに入ってる?

人を育てるって難しい。最近の言葉でいうコーチング。
育成論。
例えば、自分がその道を少しでも齧ったのならば勝手が分かり肝も据わる。
そうでない場合、行きつくところは育児というところに置き換え「人として」という精神面だけに頼ることになってしまい心もとない。
何を言いたいのかと言えば、迫る子どもの大きな柔道大会においてコーチとして付き添うことになってしまった。
地元柔道連盟の選抜メンバーでないから自費で参加する。全て個人でやる。
所属クラブのコーチは遠方だから来ない。
試合中のアドバイスなど論外。「頑張れ」ぐらいしか私は言うことが無い。
それでもこの大きな大会に挑戦すると申し込んだのだから!
追う相手はあと一息子どもが鍛錬すれば「背中が見える」と、考えたから出場するのだ!
選手にも様々な段階があり、経験が大事な場合と、力の差で却って精神面に悪影響を残す場合と…
どちらがいいのか子どもの柔道のコーチでないから分からない。
申し込み事前にコーチに尋ねたけど、「その試合について知らないから。やりたければ挑戦すれば」の答え。

知名度があり日本からも柔道選手が参加する大会。
及びはしないが、10代だからこその怖いもの知らずで挑戦する勇気を応援したいと思うし、なまじっか柔道をしってるからビビる私でもある。

どうか皆さん、神様、私に度胸をください。
子どもと死ぬ気で試合直前まで粘り「ダメ元」という前向きな気持ちが持てますよう。
「大好き!強くなりたい!上手くなりたい!」の真っ直ぐで純な気持ちが子どもと私とを押し上げてくれますように!


# by stanislowski | 2024-03-08 15:40 | Comments(4)

2024年 始まり

石川県、能登半島の地震に際しお見舞い申し上げます。
一刻も早く取り残されている地域の方々の救助、避難が進みますように。
力を合わせて助け合えますよう。

海外からだと、現在、ヤフーが見られず、どんな状況になっているのか見当が尽きません。
どこかで見た写真では火災も発生しているようだし。
岸田の会見を見ました。記者からの原発についての質問に回答が無く、これはいったいどうしたものかと。
情報が出てこないのでは為しようがない。不安でしかない。
被災していないひとたちの「経済を回す」も、機能しないのではないか。
それぞれの在り方が緊急の日本の自然災害時において有効な力となりますよう。

自粛していいバランスを保っている人はそのまま、引き続き機能しない現政権に批判の声を出し惑わされないようにしましょう。
前向きな明るい気持ちを無くしてはダメ。
と、同時に、普段からよく政権を監視していないと有事において、自分や他人、国を救えないと思う。
非常時に備え国力というか国の安定を構築していくのが総理でしょ。それを選んでいるのが国民でしょ。

72時間以内が生死を分けるという。
自衛隊など国の組織が救助を行いやすいようにそれぞれが考えて行動しよう。

# by stanislowski | 2024-01-05 14:13 | Comments(0)

メリークリスマス

今日は亡き父の誕生日。生きていたなら89歳。

近所は静か。キリスト教が多いこの辺は今が聖なる時で、日本の大みそかにあたるから静けさが際立つ。
ひとりでいる義父や兄や義理妹を想う。
普段の喧騒から離れ休暇に入った夫、子どものお稽古ごともなく家族でゆっくり過ごす時間が尊くて、ことさら独りの人を想う。
「独りは嫌だなぁ、なりたくないなぁ」
普段は一人のマイペースが欲しいけど。独身だったあの頃には戻れない。特にクリスマスや年末年始の家族が密になる時期は独りが堪える。寂しすぎて。
満たされているといがみガミガミの間柄のひとにも優しい気持ちが芽生えてくる。
想像ができるようになる。

クリスマスおめでとうございます。
私はクリスチャンではないけど、平和を愛を希望を願う人々の、救い主を待ち望む気持ちを同じく喜びたい。

# by stanislowski | 2023-12-24 04:06 | Comments(0)
文化の違いなのか?ただ単に婚家の個人の思考の違いなのか?

私は少し興奮してしまった。
言葉が拙いせいもあるし、事務的に話し合うという練習をしていないせいもある。
だがしかし、四角四面のドイツファミリーに、初めて知った文化の違いに落胆もし驚愕し、益々関わりたくないと思った。

義母が亡くなった。
目下、告別式の手配でてんやわんや。
こちらの葬儀屋(少なくとも日本で私が知っている葬儀屋)は日本と少し違う。
日本においては全て手の届くように手配してくれる。且つ、近しい人々があれこれ手を焼いてくれ、
喪主並びにその家族、私みたいに海外に住んでいるものは娘であろうと、
もう、来日してひな壇に座るだけみたいに何もしなくていいように(気が回らないだろうから)整えておいてくれた。
近親者はこんな時だからこそ、お互いに疲れを起こさないようなるべく事務的に手配を進め体を休めるようにしていたと思う。

嫁ぎ先の国のは違う。葬儀屋さんが一貫してやらないシステムだから。
小姑が仕切り、最高の見送り方のため、思い出話を挟みながら時間が流れていく。それを長いと感じるのは私の器量の狭さと関わりの浅さだけど。
第一回目の手配の話し合いは、もう、すごく疲れたし。疲れる。
ただ故人の顔を見るだけに行った日に手配事も入る。文化が違う、理解できない。「理解できない」と言うと、溜息をつかれる。
小姑も人手が足りなく(私が使えなくて)イライラしてくる。
一昨日は三世代が一緒にいた。こどもは祖母の顔を懐かしみそれでいいと思っていたのに、その後につき合わされ、自分の予定も狂いこちらも不満がたまっていた。
挙句の果て帰宅時に私と夫が口論となりシクシク。

前置きが長すぎた。何が一番言いたいのかと言えば、故人の見送り方の違い。
こちらは告別式の後、四十九日の法要のようにレストランとか公民館などで、お茶と軽食を参列してくれた人に振る舞う。
でも!振る舞うのは全員じゃない。招待した人のみだけらしい。
らしいと書いたのは、他家の事情がそれぞれ違うようだから。
新聞の告知は出すから、生前ご縁があった人達は教会のミサに来るだろう。で、その後は燦燦囂々。
軽食やお茶に与る人は招待された人のみ。(この会食は四十九日の法要的な意味合いだし、会場のキャパシティや予め準備する量も把握していないとだからそれも確かに大事かな、と、今は少しだけ理解できる。)
告別式に来てくれた人全員にお茶を出すことは無い。返礼カードだけはある。

義両親の近くにすむ私の親友(戦友とも言える大切なひと)が尋ねてきた。「生前お顔見知りになっていたし知らない間じゃないから告別式に参列してもいい?」
私も夫も「是非!参列してください」と、答えた。
が、実際、手配の段階になり、レストランに呼ぶ人の明細は?となり、私の親友は唯一そのリストから外された。
「時間を割いて来てくれる人にお茶も出さないの?」と、私は興奮した。
すかさず夫が、「君に話したじゃない?参列してくれていいけどレストランは別」
いやいや、そんなの聞いてない以前に知らなかったよ。そんな文化だとは!
葬儀は招待制なのね!
全くの見ず知らずならまだしも、面識があり、義両親や小姑、私達もお互いに今後も何かとお世話になり続ける存在の友人だけが葬儀後の会食から一人外された。
そんな失礼な事できないよね。だったら初めから呼ばないほうがいい。
認識が全く違った。
茹でだこのように赤い顔をしてるわたしに、追い打ちをかける小姑が一言。
「この会食は喪主にとって何かしてくれる人を呼ぶ。」「そう興奮するな」
それを解釈するに、義父にとって懐かしい昔話をしてくれる人、悲しみで塞いでいる義父には同じドイツ人でドイツドイツドイツ…

私の友人は、それこそ、今後、義父に緊急事態があったら近くに住んでいるし駆けつけてくれるであろう、そんな厚かましいことも聞いてくれるだろうの隣人。人のご縁が繋ぐものは公共の福祉を超えて遥かに尊い。家族関係が崩壊した人、頼るべきものを持たないものは国家福祉に依存するしかない。だから過去今だけでなく、
袖振り合うも他生の縁、情けは人の為ならず、が私が育ってきた国の文化。
その気持ちで私も親友もドイツの葬儀と言うものを捉えていた。
だから、ご縁があった方のお見送りはしたいなと。
そしてまた、親友は他のドイツ人の葬儀にも数回参列したことがあるから、つまりは、故人とその関係を考慮してくれた故人家族の配慮か?
そんなら、わたしの婚家家族はあんなによくしてもらっておきながら、ここは線引きするのねと。
もちろん、夫や小姑側の親友も参列はするかもしれないが会食には招待しない。
そんなの知らなかったよー。
私はその場を鎮めるために自分に言い聞かせるように言った。
「文化の違いね」
小姑、「そうよ。ドイツでは、、、、ドイツでは、、、」
小姑とのいざこざを「文化の違い」と言えば、何とかお互いに不満を鞘に納めることができる。

書くことで頭の中を整理させたい。
四十九日法要の意味もある葬儀後の会食。選ばれた人だけが与れる。

彼等の金婚式に撮った写真(私と孫抜きで、もとの四人家族だけの写真)を夫に渡し、我が家に「飾りなさい」と、言った義母の見送りを、
どんな気持ちで私はできるだろう?
故人のいやだった思い出は書きたくないけど、現在の小姑がそれそっくりで。

葬儀は義母のものだから、
私達、生きている側の今後のご縁でなく義母の連れ合いの方を優先するのは普通なのでしょう。
でも、「葬送曲は、お花は、弔事は、招待者は」と、小姑の劇的になっている状態に疲れる。嫁だから冷静でいられる。

とにかく憂鬱な気持ち、肩にどっしりと重くのしかかったものを整理したい気持ちで書いた。






# by stanislowski | 2023-12-11 18:21 | Comments(2)
何故だか分からないが筆?文字盤を叩く指が昨日からえらく進むので、大したことでは有りませんが記しております。
本日は子どもの柔道大会で遠出。
ジュニアの域を超えた大会に出ていい経験が出来ました。
内股もう少しで一本だったね。残念。
大内も決まり手にはならなかった。
修業は続きます。
JR東日本に女子柔道部があるんだね。
日本で出稽古に行けたらいいな。

関係各位にお礼を述べ、
皆さまのご協力の下、青の柔道着も整い本日着用できました。

とにかくうれしくて!
ありがとう。ありがとう。

# by stanislowski | 2023-11-05 03:30 | Comments(0)