正義の味方

私が似たような思考の作家を読み求めるのは自然。

人はみな自分が望む答えだけを尋ね続けてしまうものだから。
中島みゆきは「永遠の嘘をついてくれ」で言っている。

”いいところとね、悪いところを分けて考えられる人って、正義の味方みたいな旗ふり回して、人をぶんなぐって歩いて気がつかない人よ。” 佐野洋子/私はそうは思わない より

キャンプ中に再読して、海のトリトンの奥深さを今さら知った。
「現実の戦争を無力な子供として体験した」手塚治虫はじめ、戦後日本の漫画家たちは、ディズニーに学びつつも、傷つきやすく死にやすい人間をフィクションの中でリアルに表現しようと悪戦苦闘してきた。主人公の一方的正義を最後に敵の物語を示すことでひっくり返した富野由悠季の「海のトリトン」によって、日本漫画はディズニーの作劇術を乗り越えた 
米原万理/打ちのめされるようなすごい本 より

この箇所を読んで考えるのは、私の福島に寄せる気持ちだったり、支援の仕方だ。
わたしのそれは独りよがりになっていないか?
何かを傷つけることなしに踏み出す事はできないと、考えに考えた末、そう結論づけた。
その何かは特定できないけれど。

物事には二つあるのかもしれない。
決して触れてはならないもの、そして、未知だけれど可能性を信じて進むべきもの。
そうした末に誤りも在り得る。
その線引きはわたしは人間だから分からない。これしか言いようが無い。
不確かだけれど、ぼやっと思うのは、自然科学で見て原子・元素が還るか還らないか。
俗に言う理数系派官僚系には嘲笑されるだろう、きっと。

福島は党派を超え明確に原発廃炉を打ち出している。
それでもひとつの大きなうねりとなって国を突き動かすにはまだまだ力が弱いと感じる。
福島の人も言う。あっちでこっちで「福島をひと括りにするな」と。そりゃそうだ。
だからと言って忖度などしない。
この事故は多くの結果事例を公表して話し合わなければならないと考える。
自分に置き換えて想像してみて、動いてみて、大切なことをなくすようだったらその時はやめる。
矛盾してるようだけれど行き着くのはわたしは人間だから。

沖縄、広島、長崎、福島、水俣など公害病が起きた地域、それぞれの民主主義度は違うのか?
目に見える犠牲者の数や状態、
直ちには影響はない目に見えない障害とそこからくる人々の差別。
「放射能で死んだ人はいない」と、どこかの愚かな大臣が言ってたっけ。
差別は一時で終わらないから誰もが目に触れないよう口を塞ぐ。
知られないでいるその人だけの歴史、生き方がある。

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日本の強さは国民が天皇を中心として統一しいていたこと。
国民のまとまりがいかに国力となるのか、EUで暮らしてみてはっきりと分かる。
国体がしっかりしていた。文化・教養・農商工業・技術。
島国という地形が他国の侵攻を防いでこられた。
明治維新を境に変わってしまったが、精神的支柱がはっきりしており、これが結果として植民地にならずに済んだのだと思う。この国を敵にするより味方にしておいたほうが得ということ。
ただ、西側の方が早くに発展していたため、速過ぎる文明開化に人々の精神性が追いつかなかった。
それを逆に取られた。
日本のいいところ。
柔軟さ、器用さ、争いを好まない平等さ、勤勉さ。
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トリトンが正義の味方と信じて「水平線の終わりには~」を歌ってきた50年。
それだけではなかったと知ることが出来た。
2つの本がまた繋がって私の指針となった。





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by stanislowski | 2017-08-17 21:34 | 考えごと | Comments(0)