<   2017年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

市民の力

ドイツの西Aachen、ベルギーと国境を分ける町。
ここは老朽化したベルギーの原発の風下に当たる65km圏内。
民主主義が機能しているところなら、こういう運動が沸き起こるのは普通かもしれない。

6月25日はAachenから原発のある町Huyまで、人の手を繋いで鎖にして反対意思を示そうというアクションが行なわれた。
ドイツから始まりオランダも風下に入るのでオランダの町を抜け、ベルギーのThiangeまで。
私達家族もピクニック気分で弁当持参で楽しみながら手を繋いだ。

ベルギーに居住ということもあり、強い反対の意思を示したくて最も近い原発3kmのところに陣取った。
楽器を奏でたり、太鼓叩いたり、プラカード掲げたり、そんなことをして過した。

終了後にも、翌日にも、参加した人たちの「よかったよね」と言う声が多く聞かれた。
ゆるーい時があってもいいよね。
広げるにはほんのちょっとした会話から、構えないで、隣人と「どう思う?」と、巻き込んで行くことが大事。

d0268126_23190144.jpg
この安全ベストを着た左側のじいちゃんの音頭で、アクションは手を繋ぎながら、定刻に2回、「原発止めろ」と声を上げた。
隣にいた60代と見受けられるベルギー人夫妻(茶色の帽子をお召しになった方)シャルルロワからだそう。
このご夫妻、
「あれっ?もう終わり?これだけっ?」
ってちょっぴり不満げ。
なぜかって?
この方たち数十年前に、ベルギー、フランスの原発反対運動で火炎瓶投げ込んだそうな。
レジスタンス!
穏やかで知的な佇まいからは想像できなかったけれど、信念をもって行動されているから素敵だったんだな。

「殺せ、暴力を振るえ」と、易々と言えないが、
そうした方法に訴えないと報われないってこともあるのかもしれない。

ただ、この日は小さな子ども連れの人たちも多く、こうしたささやかな活動から、市井の人々から、
変えて行く力が芽生えていくのだと改めて思い知った次第。



[PR]
by stanislowski | 2017-06-27 23:38 | ダメダメ原発 | Comments(6)

雨が降る今日は

畑仕事は休み。
芝刈りも昨日終えた。
よって、週末の始まりの今、PCを前に緊張を解きほぐしている。
午後は知人がやって来るのでケーキでも焼こう。
卵3個、既に室温に戻してある。

13時までまだ時間はある。
読み始めた「ヒトラーの防具」にぐいぐい引き込まれる。
私は読書家ではない。小学生の頃は夢中になって本をよく読んだが、その後はさっぱり。
渡欧して憧れていたオーヴンがそこにある生活になったら、
眺めるだけの雰囲気本、いわゆる「丁寧な暮らし・小さな幸せ本」だけで足りていた。
「どんなお料理がいいかな。どんなテーブルデコレーションがいいかな。」とかなんとか。

最近は知りたいことが有り、ブログ仲間の意見を参考に厳選して購入している。
幸い読書家の方々ばかりで、私の知らないことを記事として載せていらっしゃるので面白く、ありがたい。
東京のご隠居、
会津のお姉さま、
福島のcafebonekoさん、
パリのマダム、
記事を読み、メモし、里帰りの際に地元'岩瀬書店’で購入し抜け目なく持ち帰る。
読書家の方の考え方は奥が深いし、幅が広い。
言葉も光っていて私には眩しいかぎり。
d0268126_18151461.jpg
水曜日に所用でBruxellesに行った。
EU議会、EU連合、EU委員会が立ち並ぶ駅に降り立つ。
この付近の地下鉄でテロがあったのは昨年の3月。
6月2日現在のベルギーの脅威度評価は3(高い。テロの可能性があり、発生し得る)
こんなチラシも入手した。
憲法改正国民投票法は平成19年5月18日に公布、平成22年5月18日から施行って、知らなかったよー。
選挙には欠かさず行っていたが、妊娠・出産と嬉々と幸せに酔っていたあの頃に事が着々と進んでいたとは。
翌年から私ははっきりと知ったのだ。
自由及び権利の保持義務と公共福祉性はいかに日本国民の不断の努力によって保持しなければならないかを!

知りたいことを調べること、本を読むこと、好きなように書くこと、その自由を守ること、
そういったことを失くすとどうなるか。

私みたいなぽわーんとしているブログでも誰かのアンテナに引っ掛かるといいナと思いつつ。

[PR]
by stanislowski | 2017-06-09 18:17 | ある日 | Comments(2)

抑制と欲望

私も自然の一部と認識し生かされていると思う。
金属ではなくいつか土に還るものだと。
その上で、今日、家庭菜園をしながら共存ではなく駆除している害虫やナメクジ。
文字にするとおぞましい印象が有ります、が、その方法を明らかすると、”殺す”ということです。

この粘着力のある粘々さはのどの痛みに効く聞きましたが、本当のところはどうなんでしょう。
生きたまま飲む。試す勇気も無いので…

「無農薬の野菜や原種の種を用いた野菜を食べたいね」ということ、
幸い、家庭菜園をする空間面積、時間もあるので育てていますが、
発芽した頃にナメクジに食べられてしまうことが多いので朝夕畑周りを見回りし駆除しています。

後ろめたさや畏れがあるのは言わずもがな。
そうして生かされていることに思いを馳せるのみです。

我が家の土壌はタチアオイの生長に適しているようで、放っておいてもこぼれ種でワシワシ芽が出てくる。
奥会津のあるところでは「デンバラムシの花」と呼んでいるそう。
d0268126_22504395.jpg

昨日、Yahooのトップで、埼玉、秩父の農業施設の女性が、抱き合っているような変形した大根と一緒に写真に納まっていた。見ようによっては誇らしげに。
 こんなニュースを読むたびに私は無邪気ではいられない。
彼の事故の影響がなければよいがな。

引きずり過ぎると生きにくくなる。
拘りと忘れたほうが楽の境界線、
芸術・文化を創造するエネルギーとか無駄とかの境界線、倫理はどこに?どう考える?

今朝の夫の、廉価チェーン店での買い物は控えてなるべく手作りや個人商店で買おうという実直な提案に、
あまり青臭くて、(いや、諦め感がある私より遥かに意識が高いのだが)白けてしまった。
その意義は過剰に生産しない、消費しない、必要な分だけ、プラスチックごみを減らす、ということを自ら示したいということなのだけれど。女性としての楽しみも私は忘れていないから、反発したくなったのか?!

例えば、日本の四季を彩る食卓には複数の食器を用いる。
小さな小鉢や絵柄の皿、お椀、季節を味わう繊細な感覚があっての芸術文化。
色合わせだって気温や季節を考慮している。
本音を言えばもう少し増やしたいが、「同じようなものをまた買ったの?」と、言われるから抑え気味だ。
無駄をしないと言う名目でいえば夫の国の文化は丸。
春夏秋冬白いひと皿に主食、主菜、付け合せ全部盛った、アスパラガスの季節を抜いて、年中、同じようなメニュウ。
夫の家族との食事は情緒が無い。

無駄と暮らしを彩るのバランス。
何に重きを置くか、優先させるか、ストレスを抱えず暮らしていくかが大事なのは分かる。
小さなことに拘り考え過ぎて疲れさせているのは自分かなぁ。

ことあるごとにつまらないと思ってしまう近頃。
いかん。いかん。





[PR]
by stanislowski | 2017-06-04 22:57 | 考えごと | Comments(4)