久し振りにログインします。
書くことで自分の問題がなんであるか見つめるため。
単に「ねぇねぇ聞いてよ」で、気持ちが晴れて元気になれるならそれに越したことなし。
心情の吐露って見栄もあり意外に難しい。
子どもが一応大人の私の能力を超える年齢に達すると、親としてより再び自分を主にする時間と言うか切り替えが必要なのかしら。
人間関係の経験値はまだ足りないからそこだけ見てあげて、悪いひとと善い人の見分け方のヒントを私の経験から伝える。
ひとつは子どもは頭で学び、
少し痛い目も肉体を通し感じ、
取り返しがつかないというような「危ない目に」遭わなければいい。
夫は西洋人だからどちらかと言えば情より論理で物事を考える。
私は日本のあの場所で生まれ育ち、情が先に立つ。「心地よいか虫が好かないか」がポイント。
現在、再び夫婦の時間が多くなると以前とは違ってしまった男女ということに焦点が行く。
「好き好き大好きチュッチュッ」なんてすっ飛ばして、子どもが怪我しないよう病気しないよう、それを中心にして十数年生きてきたから。
男の人は違うみたいね。
私は女に戻れない。「日本のお母さん」になっていた。
私はそれでいいと思う。そして家庭を壊さないようにする。夫婦間だまし合いながら尊敬しあいながら続けていく。
私は夫の不注意なところが大っ嫌い。
「壊してまた作る、失敗繰り返す、忘れてまた聞く」
これって、日本で育った私とは正反対。
私は「物事は丁寧に、一度取り返しのつかないことをしてしまったら二度と戻れないから慎重に、一度聞いたらメモしろ!」
双方、良いところを悪いところがある。陰陽。
だから、どちらが正しいとは私は言えない。でも、夫婦生活を続けていくには粗が見える。今頃、東洋と西洋の大きな違いに気づいた。
これが眠れない。自律神経の乱れの原因のひとつかもしれない。
加齢って、生きてるってことだけど、しんどいなぁ。幸せに育った小さな子どものころに戻りたいなぁ。
鶏が一羽、てん?野生動物にやられました。
原因は夜間鶏小屋の戸の締め忘れ。夫の責任。
私は「鶏小屋閉めたかい?」と、2回聞いたのに。
残骸を見つけたときには泣き叫んだ。
普段なら自然界の法則だからと受け入れられるが、鶏に小屋を起こして守ろうとしてるくせに守れなかった。
しかもその雌鶏は3個の卵を温めている最中だった。
雄鶏が来て2年目にしてやっと授かり、卵を産んでいるのを見つけ、この1か月ちかく、
「まだかな?まだかな?いつ産まれるかな?」と、心待ちにしていたのに。
夫はこの大切に大切に待ち望んでいた時間を奪った。
失くしたのは鶏一羽20€でなく家族と言うかけがえのないもの。
わざわざ会社まで電話を入れ昨夜どのようにしたか鶏小屋調書した。
「あー、仕方ない。残念」ですと。ごめんのひとことは無いのか!
このヘラヘラしてるところ。
私は頭に血が昇って、もともと血潮あふれる癇癪タイプだから。
無理に抑えようとすると無気力人間になる。(だから”カッコーの巣の上で”を観ると体がワナワナ震える)
そんな陰陽が合わさって家族構成を成してるから上手くいくのか?
私の日本と西洋観が上手くかみ合わず、自律神経の不調もあり、重なり、
眠れない、眠りが浅い。
歳を重ねると分かることもあるのですね。
私はこの世にあの子を送るため生まれた。だから、何かあった時はそれこそ自然に「生きる可能性」がある方を冷静に選ぶ。
たくさんの時間を我が子と共に過ごし愛着がある。だから他人の子より自分の子が大好きだし守る。
他人もそうであると思うから、それはそれで尊重する。
それをエゴイストと言いますか?
付けたしひと言
多様性とかSDGSとか叫ばれるけどそんな西洋からきたもの気にする必要なし。
日本は日本の地政学に則り自分の国を建国し平和を守ればいいだけのこと。西洋に冒されて自分を自然を冒されるなよ。
先ず自分を守って何が悪い。これって全員が助かるための、特に地震が多い日本においての最初の鉄則でしょ。
「自分さえ助かればいいのか」っていう、かのひと、かの国。何でも善人でなければならぬという押し付けた頭で考えただけの西洋モラルは頂けない。