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廃墟に花々を


by stanislowski
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震災以降、感じなくなったもの。
素肌をさらっと通り抜けるだけの言葉。
「絆」「寄り添う」などなど。多くの人が使えば使うだけ、私はそこから遠ざかる。

自分の言葉を紡げず誰かの真似をしている感があります。
震災後、原発事故原因の社会構造とかとか歴史とか調べたり、考えたり、
ブログでどこかの誰かと意見を交わしたくて、書いてみたりしましたが、毎回、同じような事を書いていたり、読んだり、もういいかなと思えてきました。

どこかの名が知られている文学者なら、もしくは論破できるような理論や根拠や出典どころなど落とし込める、納得できる説明が出来れば、それをしないといけないなんて・・・無理。

司馬遼太郎氏の言葉で腑に落ちます。こういうことなのかと思えば怒る気にもならない。

要するに、日本人はスパイや謀略者に向かない。もっと基本的なことをいえば、現実は何だという認識能力が、こんなに単一民族の国では育たないですよね。
情報と言うのは、見なくて分かる能力だから、情報を受けるのには、たいへん研ぎ澄ました認識能力が必要になる。情報なんていくらでもくるから、結局、受け手の問題ですよね。日本人は受け手の能力に欠けた民族なんやろな。いやな情報は捨てる(笑)。民族の癖というのは直らないから、いまも似たようなことをくり返しているはずです。

文春文庫 対談 中国を考える 司馬遼太郎・陳舜臣 より 一部抜粋

生き方を探るのは自分。
それを誰にも気兼ねせず自由に出来ればいいなと思います。平和がある事は前提ですね。
自分を幸せに出来るのは自分しかいないと思うから。
エゴだとは思いません。

この話題を口にしない日などない。
痛いところを突くのは怖いよ。
それをしたら、我が家だって明日のご飯に困るかも。

それが出来なくて身近なところに不満をぶつけ合うのは世の常なんでしょうね。
だから、民主主義と言うものが盾となってくるのだと思います。
それをよりどころに共同社会が成り立ってくる。

驕りと言われても。それでも言論や批評を止めたらいけない。
誰かを傷つけるという理由で、自粛して口を閉ざさないで。
様々な痛みは承知の上。居ないことへの後ろめたさはある。
でも、それと言論は別。感情論にしたらいけない。

「私はこう思う」と、お互いに言い合えるようになったらいいのに。それこそ、ひとりひとりの思考を止めない事から始まる。

最後にこの映画の事、フォーラム4を載せて終わります。

小さき声のカノン心から子ども達と寛いでいるお母さんが美しく見えました。

古賀さん



他人の感性を否定する気持ちなど毛頭ありませんし、環境の違いも有ります。
震災後目覚めた私の自然観と価値観とお断りしておきます。

今だから考えるけど、
何で中高時代、土日も部活に行ってたんだろう?そういう決まりだから従うほか無かったけど、楽しい事が多かったけど、休む日、家族の日がないと。
闇雲に働く・運動するだけでは育たない「思考」というものがあると気づいた。ある意味、部活動って、上下関係があって封建制度。根性の世界。
若年時代こそ思考を育てないといけないのではないか?!

価値観の多様も選択肢の幅もいいようで悪いような、複雑になりすぎて来た。
簡単に言えば物も事柄もシンプルだった時代の方がそれだけ鎧が少なく動きやすかったように思う。

SATC、堀○さんに、雅○さん、凜とした、パリ風って何?などなど。
丁寧な暮らしをふんわりとだけ包んで雰囲気を見せていくライフスタイル本。
時めくことがなくなりました。
本当にサラッと通り過ぎていくだけ。眺めるけど憧れるなんてことはない。
辿っていくとあれとあれに繋がってここに行き着く。

本当の機会を持つことが出来たのは恵まれた事だ。
庭があって、ニワトリがいて、鶏糞があって、ミミズがいて土地が肥えていく。
うつくしい花々や美味しい野菜はそれらが互いに働きあって織り成して行く事を改めて知った。
泥臭い命の闘いがあって、我が庭でテーブルを出してcafeでもしている写真を見たら、それはご褒美。
生きてるものは骨があって粗いけど力がある。

上条氏のTo-y、桃ちゃんの言葉を捩って言いたい事は、
「生きたいって気持ちを大切にしろョ!!」 
です。
by stanislowski | 2015-04-10 17:14 | 福島関連