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一も二にも無く費やした時間数に因るのでしょうが、やはり努力が足りないのかな。
外国語のセンスが無いのかな。会話が続かない。
話題を打ち切られ尻切れトンボで終わったその後、「私ってつまんないのかな」と、人の目を気にし過ぎるのは典型的日本人か。
娘関係のお母さん方なら共通のテーマがあって何とかなるが、その夫君となると、お天気か「調子はどうですか?」という一行で終わり。
相手も拙い会話に付き合うほど辛抱強くない。
私の「フランス語が、ドイツ語が、上手でない」という陰気な空気が伝わる、いや、そんなのを読み取る事はしない。興味が無いから眼中になしと言う方が当てはまる。
つくづく、こちらの国では自分から能動的に行かないと常に独りぼっちなのだ。
娘のバレエ教室に付き添う。
レッスン風景は私から見るとEU型と日本人と言う風に映る。
お稽古が始まる直前、きちんとベンチに腰掛けて先生を待つ娘。
かたや自由気ままにクルクル回り出し、「今日はこれがしたい」と、先生に自ら提案する他の4,5歳児の女の子たち。
先生がCDをかけたり、小物を準備したりと、ちょっとでも目を離すと、すぐさま自由行動だ。
何だろう?どこから来るのだろう?この違い。
川の字になって子どもが「十分と」自分で決めるまで一緒に寝たり、
子どもが話しかけてきたら、大人の話を遮ってまでも子どもの話に耳を傾けようとするのが、
或いは、大人同士でおしゃべりしていても常に子どもに目配りしているのが日本的と私は感じている。
たまに目にするのは大人同士会話に夢中になって、「はっ」と、気づき自分の子どもの名を叫んでいるママさん。それか滑り過ぎる滑り台で尻餅ついて泣いている子ども。
そんなの私の中にありえない。
手を掛けて欲しいならば自分でアクションか。
昨夜のフランス語講座、私が親しくしている若いポーランド人ママさんの独壇場だった。
私の耳は空耳か?CDの聞き取りが苦手だし単語がごっちゃごちゃ。
例えば、文脈からしてsonは「音」を指しているのに、所有形容詞の「彼の、それの」と認識して、「アレ?意味がつながらないよ」と、とんちんかんなこと。センスが無い。
比例してお互いの娘同士も何かと比べ競争したがる。
到底私のレベルは彼女に敵わない。
勝ちたかったけど勝てないと知った。
「やる気なくしちゃうな」
と、ポツリ夫に呟いたら、
「くだらない」
と、一言。
言葉の習得って勝ち負けではなく自分が生きるためなに必要なのだけど、情報の少なさは生活に不利。親しい人が競争相手ならなおの事自分と比べてしまう。
ふむ。
悔しさをバネにしてコツコツ頑張るか。
楽しむには話せないとね。
外国語のセンスが無いのかな。会話が続かない。
話題を打ち切られ尻切れトンボで終わったその後、「私ってつまんないのかな」と、人の目を気にし過ぎるのは典型的日本人か。
娘関係のお母さん方なら共通のテーマがあって何とかなるが、その夫君となると、お天気か「調子はどうですか?」という一行で終わり。
相手も拙い会話に付き合うほど辛抱強くない。
私の「フランス語が、ドイツ語が、上手でない」という陰気な空気が伝わる、いや、そんなのを読み取る事はしない。興味が無いから眼中になしと言う方が当てはまる。
つくづく、こちらの国では自分から能動的に行かないと常に独りぼっちなのだ。
娘のバレエ教室に付き添う。
レッスン風景は私から見るとEU型と日本人と言う風に映る。
お稽古が始まる直前、きちんとベンチに腰掛けて先生を待つ娘。
かたや自由気ままにクルクル回り出し、「今日はこれがしたい」と、先生に自ら提案する他の4,5歳児の女の子たち。
先生がCDをかけたり、小物を準備したりと、ちょっとでも目を離すと、すぐさま自由行動だ。
何だろう?どこから来るのだろう?この違い。
川の字になって子どもが「十分と」自分で決めるまで一緒に寝たり、
子どもが話しかけてきたら、大人の話を遮ってまでも子どもの話に耳を傾けようとするのが、
或いは、大人同士でおしゃべりしていても常に子どもに目配りしているのが日本的と私は感じている。
たまに目にするのは大人同士会話に夢中になって、「はっ」と、気づき自分の子どもの名を叫んでいるママさん。それか滑り過ぎる滑り台で尻餅ついて泣いている子ども。
そんなの私の中にありえない。
手を掛けて欲しいならば自分でアクションか。
昨夜のフランス語講座、私が親しくしている若いポーランド人ママさんの独壇場だった。
私の耳は空耳か?CDの聞き取りが苦手だし単語がごっちゃごちゃ。
例えば、文脈からしてsonは「音」を指しているのに、所有形容詞の「彼の、それの」と認識して、「アレ?意味がつながらないよ」と、とんちんかんなこと。センスが無い。
比例してお互いの娘同士も何かと比べ競争したがる。
到底私のレベルは彼女に敵わない。
勝ちたかったけど勝てないと知った。
「やる気なくしちゃうな」
と、ポツリ夫に呟いたら、
「くだらない」
と、一言。
言葉の習得って勝ち負けではなく自分が生きるためなに必要なのだけど、情報の少なさは生活に不利。親しい人が競争相手ならなおの事自分と比べてしまう。
ふむ。
悔しさをバネにしてコツコツ頑張るか。
楽しむには話せないとね。
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by stanislowski
| 2013-01-17 15:06
| 考えごと
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